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工藤會VS福岡県警 銃撃事件解決の糸口は「組員の恋人の証言」だった

工藤會VS福岡県警 「逆らう者は許さない」手榴弾によるクラブ襲撃事件“最凶組織”のやり方 から続く

【図】福岡県内の暴力団勢力図

 かつて「暴力の街」「修羅の街」と呼ばれた福岡県北九州市。全国唯一の特定危険指定暴力団「工藤會」がこの街を牛耳っていたからである。しかし今、工藤會の屋台骨がぐらついている。福岡県警による相次ぐトップ検挙。一体何があったのか――。現場を指揮した元刑事が、工藤會壊滅作戦の全貌を明かした「県警VS暴力団」(文春新書)から、生々しい戦いの軌跡を抜粋する。

◆ ◆ ◆

1年間で7件の銃撃事件

「ぼおるど事件」があった平成15年中、福岡県内で工藤會による発砲事件は福岡地区で発生した1件で、捜査第四課福岡地区班が検挙してくれた。県警内には、一連の一斉摘発により、工藤會の活動を封じ込めているという意見があった。だが私は、封じ込めているのではなく、工藤會側が発砲や襲撃の必要性を感じていないだけではないかと思っていた。

 恐れていたとおり、翌平成16年は状況が一変した。県内で工藤會による発砲事件が7件発生したのだ。県警はうち3件を検挙し、残り4件についても容疑者は特定している。田上組長が出所し、建設業への利権拡大を図る中、工藤會の意に沿わない相手を脅すことを狙った事件だった。

工藤會VS福岡県警 銃撃事件解決の糸口は「組員の恋人の証言」だった

手榴弾でクラブを襲撃した「ぼおるど事件」発生当時の現場 ©共同通信社

 実行犯はもちろん、通常、彼らが口をつぐんで守ろうとする事件の指揮者まで逮捕に至っており、暴力団による事件の指揮系統などがよくわかる事例なので、詳しく紹介しようと思う。なお捜査の概要については、既に公判で明らかになっているが、登場する関係者は他の未検挙事件にも関係しているので仮名にしている。

原因も動機もわからず

 平成16年1月25日午前2時ごろ、北九州市小倉南区で北九州市議会議長宅に拳銃弾3発が撃ち込まれた。一発は寝ていた家族の枕元、1メートルほどの壁に当たっていた。もし銃声に驚いて起き上がっていれば、弾が命中した可能性もあった。

 4月18日午前3時ごろ、小倉北区のパチンコ店経営者宅に、5月21日午前3時過ぎ、同じく小倉北区で、福岡県議会議員の自宅に拳銃弾が撃ち込まれた。

 6月22日午前0時45分ごろ小倉南区の建設会社に、27日午前1時15分ごろ小倉北区のゼネコン北九州営業所に、翌28日午前4時ごろには小倉北区の洋服店に拳銃弾が撃ち込まれた。立て続けの銃撃事件に、新聞・テレビの論調も福岡県警に対して厳しさを増してきた。そして9月1日午前0時50分ごろ、戸畑区内の大手物流会社支店に拳銃弾が撃ち込まれた。

 いずれの事件も工藤會の犯行と推測された。しかし最初のうちは、その原因、動機が皆目わからず、工藤會のどの傘下組織が実行したのかも特定できなかった。

 その中で、2番目に起こったパチンコ店経営者宅への発砲事件については、ある組に対する容疑が強まっていた。このパチンコ店の系列店が、6月、筑豊地区の宮田町(現・宮若市)にオープンすることになっており、地元の工藤會I組組長(当時64)が経営者に対して面会を要求したが、経営者側が断固として断っていたのだ。

 ただ、I組は組員も数名しかおらず、しかも若頭以下組員全員を前年、中国エステ放火事件などで検挙していた。組長しか残っていなかったので、自らパチンコ店経営者に面会を強要したようである。しかし仮にも組長クラスが自ら銃撃事件を起こすとは考えられなかった。

組員の恋人の証言

 そんな中、思いもよらないことが起こった。銃撃事件の後、I組長自らトラックを運転し、宮田町のオープン直前のパチンコ店に突入したのだ。組長は逃げもせず、駆けつけた警察官に逮捕された。

 I組長は建造物損壊事件については素直に認めたが、発砲事件については関与を否定した。ただ、自分に動機があったことは否定しないし、事件に関わっている様子だった。I組長の交友関係を調べると、同じ工藤會傘下のF組長(当時55)と懇意にしていた。F組長は工藤會本流である田中組の系列であり、若手を中心に40人近くの組員を擁していた。

 F組の関与が浮上した。

 小倉北警察署管内では、4月のパチンコ店経営者宅のほか、6月にゼネコン営業所、洋服店への銃撃事件が立て続けに起こっており、捜査員は忙殺されていた。

 そんな折、6月30日夕方遅く、若い女性が友人女性に連れられ小倉北署を訪れた。私たちが注目していたF組の組員の恋人だった。

 彼女は組員の池上健(仮名・当時23)から暴力を振るわれるので被害届を出したいと言う。小倉北署の暴力犯係には、連続銃撃事件の処理などで捜査員は残っていなかった。そのため、小倉北署当直員から捜査四課T班に連絡が入り、T班のI巡査部長が事情を聴くことになった。

 I巡査部長は大分県警から研修で派遣された20代の若手で、ゼネコン営業所銃撃事件の犯行使用車両の遺棄現場にも行っていた。

 交際中の恋人に対する暴行だが、被害届を出してもらえば、池上を逮捕できる。早速、I巡査部長は彼女から話を聞いて被害者供述調書を作成した。池上は最近、F組に入ったばかりだったので、銃撃事件の実行犯の可能性はほとんどなかった。しかし、I巡査部長は念のため池上の最近の行動について彼女に聞いてみた。

 彼女はしばらく考えていたが、思い出してこう言った。

「(ゼネコン営業所銃撃事件のあった)27日の朝3時ごろ、アパートで寝ていると彼からたたき起こされました」

 ジャージ姿の池上は急いで着替えをすると、洗濯籠の中にジャージを投げ込み、彼女に洗濯するよう言いつけて再び出て行った。

現場は証拠の宝庫である

 ゼネコンの営業所と、その下請け業者である小倉南区の建設会社への銃撃事件については、早い段階で北九州市都市高速の改修工事絡みであることが判明した。県議や市議会議長宅への事件も、北九州地区の大型工事を巡るものと推測された。これらは前述した大型工事に強い影響力を持っていた県議会議員を前年に政治資金規正法違反容疑等で検挙し、起訴後に同議員が辞職したことが原因の一つと思われた。同議員の影響力が失われたところに、工藤會・田上不美夫理事長に近い建設業者らが工藤會の威力を背景に大型工事に介入を強め、その要求に応じない建設業者等が狙われたのだ。いずれの事件も工藤會トップの意向を受けた組織的犯行と思われた。

 その場合、野村会長、田上理事長の出身母体である田中組か、その系列の組の関与が推測された。F組はその最有力候補だった。

 銃撃事件は深夜に行われることが多く、目撃者はまずいない。しかし、現場は証拠の宝庫である。現場付近の捜索と聞き込みは絶対に欠かせない。防犯カメラが普及した現在なら、防犯カメラの捜査も重要だ。

車内にまき散らされていた白い粉

 ゼネコン営業所が銃撃されたのは午前1時過ぎだったが、幸いにも何人かの目撃者を確保することができた。付近のマンションの住民や通行人が犯人や白っぽいスポーツタイプの乗用車を目撃していたのだ。目撃者の一人は車のナンバーの一部も記憶していた。
 実行犯は男一人で、他に車の運転手がいた。犯人は営業所のシャッターに自動式拳銃で3発を撃ち込み、助手席に乗り込んで逃走した。

 その半日後、現場から約10キロメートル離れた農道に白の普通乗用車が乗り捨てられているのが発見された。車は1週間ほど前、約30キロメートル離れた宗像市内で盗まれたもので、ナンバープレートも盗難品だった。

 後部ウィンドウなどが割られ、薄くピンクがかった白い粉が、車内にまき散らされていた。消火器2本が後部座席に投げ込まれており、粉は消火剤だった。犯人は指紋等を分からなくするつもりだったのだろう。

ついに容疑者浮上

 池上の恋人が署を訪ねてきた日の夜遅くだった。帰宅したばかりの私の携帯にT班長から電話が入った。

「管理官、どうしたと思います?」

「またありましたか?」

 班長の話しぶりはどこか嬉しそうだったが、私はまた発砲事件が発生したのかと思い尋ねた。班長が嬉しそうだったのは、池上の発砲事件関与容疑が明らかになったからだった。

 恋人は暴力を振るう池上に愛想を尽かしていた。そのため池上が脱いだジャージは幸運にも洗濯されることなく、洗濯籠に入ったままだった。I巡査部長たちは早速、彼女のアパートに向かい、そのジャージの任意提出を受けていた。

 I巡査部長らが証拠品用のビニール袋に入ったジャージをよく見ると、うっすらと粉末が付いていた。白の手袋をしてそっとジャージを撫でると、ピンクがかった白い粉が付いてきた。後の正式鑑定の結果、この粉末は犯行使用車両にばらまかれていた消火剤と同一のものだった。

 池上はF組では新参者だった。恐らく実行犯ではないだろう。しかし、犯行使用車両を遺棄するのに関わったことは間違いなかった。

 平成16年の半分が丁度終わった。前半は工藤會のやりたい放題で、県警は逆風にさらされた。だがこの時、風向きは変わった。

 7月1日、朝一番で池上の逮捕状を請求し、F組から出て来たところを恋人に対する暴行で逮捕した。

工藤會に抱いた“不信感”

 彼は元々ガソリンスタンドの店員だったが、スタンドに出入りするF組幹部らに誘われて組員となった。現実は厳しく、組当番や組長、幹部の雑用にこき使われ、ヘトヘトだった。恋人との関係もギクシャクするようになり、彼女の浮気を疑い暴力を振るうようになったのである。

 池上の父親は亡くなっていたが、母親と姉はまだ彼を見捨てていなかった。

 池上が逮捕されると、工藤會と関係の深い弁護士が飛んできた。弁護士は池上本人の暴行事件のことよりも、発砲事件などについて警察から何を聞かれたのかを聞き出そうとしたため、池上は不信感を抱いた。

 警察が池上から発砲事件のことを聞くのは、恋人に対する暴行事件の取調べが終わり、起訴等の処分が決まってからのことだ。そうでなければ、暴行事件は「別件逮捕」との批判を招きかねない。警察はまだ何も聞いていなかった。

 池上の取調べはT班のO係長とI巡査部長が担当した。2人とも池上は「まだひねくれていない」と考えていた。池上の母親と姉の相談にも親身に対応した。母親たちは池上を暴力団から離脱させたいと思っていた。

 池上も、徐々にO係長やI巡査部長に心を開いてきた。暴行事件についても素直に自供していた。暴行事件が起訴されたのを機に、池上は組が付けていた弁護士を解任し、母親たちが依頼した弁護士を選任した。池上は工藤會を離脱した。

発砲事件について供述

 池上は暴行事件の起訴後、発砲事件についても知っている限りのことを供述してくれた。

 6月27日、池上は前日からF組の当番についていた。同じF組の横田敦(仮名・当時19)も当番だった。午前2時ごろ、兄貴分の長杉研一(仮名・当時28)から電話があり「急いで来い。親分の用事ぞ」と長杉の家に呼び出された。駆けつけると、長杉から家の近くに停めていたスポーツタイプの白い乗用車を処分するので手伝うよう命じられた。ところが慣れない車だったので、駐車場所から出る際、ブロック塀で車の左後部をこすってしまった。

 途中、小倉南区のマンション駐車場で消火器2本を盗み、車が遺棄された現場まで運転していった。長杉から命じられるまま、車の中に消火器の消火剤を振りまいた。

 車の中には長杉が発砲事件の犯行時に使用していた軍手があった。長杉から別の場所で処分するよういわれ、事務所に戻る途中、側溝の隙間から中に捨てた。

 また、車を乗り捨てて帰ろうとしたとき、長杉が自分のルイ・ヴィトンの煙草入れがないと慌てていたことも供述した。池上は、長杉を自宅に送る途中、長杉から発砲事件の状況も聞かされていた。

 ルイ・ヴィトンの煙草入れは、鑑識活動の際、遺棄車両の助手席シートとドアの隙間から発見されていた。消火器の盗難も裏が取れた。長杉宅近くのブロック塀に真新しい傷跡があった。遺棄車両の左後部の傷と一致した。

 軍手を遺棄したのは、小倉南区の市道横の側溝だった。側溝には重たいコンクリートの蓋がはめられていた。市職員に立ち会ってもらい、確認すると隙間から軍手らしきものが見えた。市職員が道具を使って蓋を持ち上げると、池上の供述どおり、両方とも丸めた状態で一双の軍手が遺留されていた。

取調官の熱意と誠意

 暴力団事件の捜査であろうと、他の事件の捜査であろうと、犯人や参考人の供述のみに頼ると危険である。車の傷が一致した、消火器が盗まれていた、証拠品遺留現場から供述どおりの品物を発見した、これら一つ一つを積み重ねて行くことが大事なのだ。この時は、それがうまく行った。

 犯行使用車両やそれに取り付けられた盗難品のナンバープレートについても、関係したF組組員らを次々に逮捕していった。彼らは20歳前後と若く、まだ暴力団に染まりきっていなかった。担当した取調官の熱意と誠意で、結果的には大半が事件への関与を自供した。

 彼らのうちの何人かは、その後、取り調べた捜査員に協力するようになった。若い刑事は情報を取れないなどと言う者もいるが、それは誤りだ。努力しなければ暴力団関係者からの情報は取れない。しかし、暴力団員や準構成員らも人間だ。嘘をついたりせず、誠意を持って当たれば、彼らの協力を得ることは不可能ではない。

(藪 正孝)

文春オンライン

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