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【話の肖像画】元バレーボール女子日本代表・栗原恵(35)(12)解かれた「全日本のよろい」

【話の肖像画】元バレーボール女子日本代表・栗原恵(35)(12)解かれた「全日本のよろい」

河本昭義監督(左)と岡山シーガルズの入団会見に臨む=平成24年7月、岡山市内

 《平成24(2012)年ロンドン五輪で日本代表から落選となった。失意に暮れていたころ、高校卒業時から声をかけ続けてくれたVリーグの岡山シーガルズから熱烈な勧誘を受けた》
 10代で代表入りをしてから、自分の中では当然のように“全日本”という存在がありました。「日の丸を背負うこと」が自分の唯一の価値だと思っていたので、それがなくなってしまった自分には何も残っていないんじゃないかと不安がありました。岡山の河本昭義監督に声をかけられたのはそのころです。「1年だけでいいから」と熱心に誘ってくださり、ロンドン五輪に出られなかった私をこんなにも必要としてくれる人がいることに気づかされました。それなら、今年は「私を必要としてくれる人のためにやってみる1年でもいいのかな」と入団を決めました。
 企業チームとは異なり、岡山は地域密着のクラブチームです。普段から市民の方々と触れ合う機会が多くありました。日本女子が銅メダルを獲得したロンドン五輪後、バレー教室に行った際のことです。日本代表として五輪を戦ったチームメートの山口舞さんに「すごいね」と声がかかるのは分かるのですが、ファンの皆さんは私にも声をかけてくれるんです。「ずっと見ていたよ」「応援していたよ」「大好きだよ」と。もがいて、苦しんできたバレー人生でしたが、そんなふうに見てくれる人がいることに驚きました。私はとてもネガティブで、自分にできないことを見つけては、人と比較してよく落ち込むような性格でした。落ち込んでいた自分にとって、応援してくださるファンの方々との触れ合いは大きな支えになっていました。
 《メディアが作った栗原恵のイメージから解放され、岡山時代のプレーははつらつとしているようにみえた》
 代表落選はつらかったですが、そこで一度、背負っていたものを全て下ろせたような感覚でした。重圧がなくなり、純粋に「バレーが好きだ」という気持ちが湧いてきたのです。周囲からは「顔が穏やかになったね」といわれることが増えましたね。無意識に“全日本のよろい”を背負っていたのだと思います。「栗原は笑わない」とか「ストイックだ」とか。世間から求められるエース像に勝手に縛られていました。「コートに立つ以上はこうでなくてはいけない」というのを自分で作りすぎて苦しんでいたんだと思います。
 《日立に移籍後の28年には、「脳血栓」を発症。4カ月にわたる戦線離脱にも負けず、再びコートに舞い戻った。その後、30年2月に日立を退団。本来は、そこでユニホームを脱ぐつもりだった》
 「やり残したことはない」と思っての退団でした。そんなとき、JTの監督を務める吉原知子さんに「一緒にやろう」と声をかけてもらいました。日本代表としてともに戦ってきた先輩です。若い勢いのあるときの自分を知っている方に、この年齢でまた声をかけていただけるなんて選手冥利(みょうり)に尽きます。ただ、ストイックで厳しい方だと知っている分、大きな覚悟と決意が必要でした。期限ギリギリまで返答を待ってもらいましたが、「もう一度コートに立つ姿を見たい」というファンの方々や両親の声に背中を押され、チャレンジする道を選びました。吉原さんじゃなかったら、きっとここで引退していたと思います。(聞き手 川峯千尋)
産経新聞

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