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馬術初の金バロン西は硫黄島で永眠/日本の初メダル

馬術初の金バロン西は硫黄島で永眠/日本の初メダル

写真パネル(中央)は馬術競技でただひとりの日本人メダリストのバロン西こと西竹一氏、左は尾辻勝馬事公苑苑長(2018年3月27日撮影)

<日本の初メダル~馬術編>

新型コロナウイルス感染拡大で東京オリンピック(五輪)は1年延期となった。選手が来夏の祭典で獲得を目指す五輪メダル。各競技でどのような歴史が刻まれてきたのか。「日本の初メダル」をひもとく。

    ◇   ◇   ◇

馬術初の金メダルは1932年ロサンゼルス五輪の障害飛越個人で、西竹一(当時30)が獲得した。陸軍騎兵連隊に所属し、「バロン西」の愛称で親しまれ、愛馬ウラヌス号とともに表彰台の頂点に立った。日本馬術界において、これが唯一の五輪メダルとして名を刻んでいる。

8月14日、当時は五輪の華として、閉会式に先だって行われた。超満員10万人のスタジアムに11番目で馬場に飛び出し、大小19の障害を次々にクリアした。10番目の選手までで完走者4人という難コース。減点12でトップだったチェンバレン(米国)を上回る減点8でフィニッシュした。

「バロン・ニシ、バロン・ニシ!」。前回五輪最下位の日本から来た男爵に、スタンドの観客が総立ちで拍手を送った。ロサンゼルス市からは、市民栄誉賞が贈られた。

それから13年後の45年3月22日、太平洋戦争末期に、西は壮絶な最期を遂げた。連隊長として赴任した硫黄島で、米軍将校から追いつめられ「バロン・ニシ、ロサンゼルスでの名誉は知っている。もう終わりだから、降伏しなさい」。しかし、これを拒絶。両足に銃弾を浴び、戦地で永眠した。胸には、ウラヌスとの写真がしのばせてあった。その6日後、愛馬も主人の後を追うように息を引き取った。

日刊スポーツ

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