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【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(22)紆余曲折の「脱原発」

【話の肖像画】台湾元総統・陳水扁(69)(22)紆余曲折の「脱原発」

反原発運動の先頭に立っていた立法委員時代

 《2000年5月に新政権が発足したが、自身の総統選挙の公約だった「台湾第4原子力発電所(核4)」の工事中止問題をめぐり、早速、野党・国民党と激しく対立した》
 当時、台湾にはすでに3つの原発があり、建設中の核4はすでに約3割が完成していた。国民党独裁時代に着手したプロジェクトで、住民に対する説明は不十分、さらに政商癒着の黒い噂もあった。「狭い台湾に4つも原発はいらない」というのが私の持論で、同時に「脱原発」は民進党の重要政策理念でもある。総統就任後、核4建設についてさまざまな陳情、圧力を受けたが、「この問題は妥協できない」との強い思いで工事中止の準備を進めた。
 一方、行政院長(首相)の唐飛氏は国民党出身で、核4建設の支持者である。10月初め、私のところに「唐氏は行政院に工事継続の提案を準備している」との情報が入った。閣僚のほとんどは民進党籍なので、当然ながら唐氏の提案は通るはずがない。「自らの提案が否定されたことを理由に唐氏は辞任するつもりだ」と察知し、すぐに唐氏を総統府に呼んだ。唐氏が以前、胸の手術を受ける際に私に預けた辞表が手元にあったので、「あなたの辞任を認める」と伝えた。健康を理由に唐氏の辞任を認めることで、「内閣不一致」という政治危機をとりあえず回避した。
 《唐氏の後任として行政院長となった張俊雄氏は10月27日、核4の工事中止を発表した。たちまち大騒ぎとなった。株価が暴落し、経済界から政府批判が殺到した。野党も猛反発し、政府と全面対決する姿勢を示した》
 今思えば、私たちの配慮が不十分だったところもあった。工事中止は既定方針なので、発表する時期を行政院に任せていた。しかし、たまたま私と国民党主席の連戦氏が会談する日と工事中止の発表が重なった。連氏と全く別の問題について意見を交換した直後に核4中止の発表があったので、私たちは連氏のメンツをつぶすために、わざとそのタイミングに会談したという印象を与えてしまった。
 国民党は激怒した。就任してわずか半年の私をリコールし、行政院長を弾劾する準備を始めた。非難ごうごうで政治がストップした。私は記者会見を開き、混乱を招いたことについて謝罪した。結局、最高司法機関である司法院大法官会議に憲法解釈を求めることで、収束を図った。
 《翌年1月、大法官会議の憲法解釈が出た。立法院が予算を可決し、執行中のプロジェクトを行政判断だけで止められない、ということになった。核4の工事は再開された》
 立法院では野党が圧倒的多数のうえ、違憲という司法判断も出たことで、工事再開はやむを得なかった。しかし、納得したわけではない。工事再開にあたり、私はこのような声明を出した。「あらゆる手段を使って、完成時期を遅らせる。仮に私の任期中に完成したとしても、燃料棒を入れて稼働させることは絶対にない」。その後も紆余(うよ)曲折があった。工事中の事故もあり、反対運動はますます盛り上がった。結局、15年7月、国民党の馬英九政権が核4建設の完全凍結を決めた。あれだけ熱心に核4を推進した国民党が結局、自分の手で工事を中断せざるを得なくなった。
 16年、「原発ゼロ」を公約に掲げた民進党の蔡英文氏が総統に当選し、翌年、立法院で原発全廃を目指す脱原発法が成立した。20年前、体を張って核4の工事を止め、遅らせた私たちの努力は間違っていなかったことが証明された、と今は考えている。(聞き手 矢板明夫)
産経新聞

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