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長嶋監督「私なんかいつでも渡辺オーナーの手のひらの上」

長嶋監督「私なんかいつでも渡辺オーナーの手のひらの上」

続投会見に臨んだ長嶋監督(左)と渡辺オーナー(98年9月)

【球界平成裏面史(8) 長嶋・森・渡辺オーナー、史上空前の暗闘の巻(4)】平成10年(1998年)9月3日に巻き起こった“長嶋・森監督交代騒動”のさなか、われわれは連日連夜、長嶋監督と渡辺オーナーを追いかけ回した。巨人は同月4日から東京ドームでこの年最多の6連勝をしていたが、ネット裏の記者席はいつもガラガラだった。

 この騒動は読売系列紙が「長嶋勇退」と報じた翌日、9月10日にクライマックスを迎える。渡辺オーナーはその夜、氏家斉一郎日本テレビ社長と会談。その直後、待ち構えていた報道陣に自らこんなビラを配った。

「1980年(昭和55年)に長嶋監督が辞めた際、読売の部数が減ったというのは大変な無理解による誤伝。退任1か月後の12月には逆に1万1139部増加。同時期に朝日は2万7131部減らしている」(大意)

 朝日に「前回長嶋解任時に読売は大幅な部数減となった」と書かれたのがよほど腹に据えかねたらしい。が、このときはまだ長嶋続投を公に明言せず。その直後、通信社が「読売首脳」の情報として「森新監督内定」と配信し、首脳陣の顔ぶれまで伝えたのである。

 ところが、実際には10日夜の氏家社長との会談で、渡辺オーナーは長嶋続投を決断。翌11日、森氏と交渉に当たっていた球団幹部がその旨を森氏に報告した。この幹部は実際の経緯を説明せず、森氏の方で監督就任の話がなくなったと察するしかなかったらしい。

 森氏はブレーンである大物文化人に勧められ、NHKで自ら進退を表明した。担当記者に「巨人から正式な要請があっても受けない」という談話を伝え、これが夜11時のニュースで流れた。自宅に詰めかけた報道陣には「交渉も折衝もない」と言い繕っている。後に「ハシゴを外された」とコボしていたと聞いた。

 翌12日午後、長嶋監督が読売本社を訪ね、渡辺オーナーが「もう1年面倒を見てほしい」と要請。長嶋監督が快諾する形で一件落着となった。取材する側にとっても、嵐のような10日間だった。

 球団事務所で続投記者会見が行われ、日テレはドラマを中断して緊急生中継。4日前に「勇退」と報じた系列紙は「続投」という号外を10万部も刷ってファンに配った。

 その後、記者との雑談で長嶋監督がしみじみ話していたことがある。

「(渡辺)オーナーは私を巨人に戻してくれたんですよ。本当にすごい人です。私なんか、いつでもオーナーの手のひらの上ですから、ええ」

 そのとき、長嶋続投に奔走した読売関係者が口にした言葉「あのふたりは相思相愛」(この項2)を、私は思い出した。

 しかし、長嶋監督自身もまた、実は大変なタフネゴシエーターだった。その一面を見せたのが平成8年の“落合・清原騒動”である。

赤坂英一

東スポWeb

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